おおおおおもいだした!!!!
I中学校は文豪、徳富蘆○繋がりで逗○市と姉妹都市提携を結んでいるんだそおな。
逗デニが閉店したそおだが。
あたしは大学1年ときにここに行った。バイトの打ち合わせで行った。
逗○のどこかの海辺の海の家に壁画を描くバイトをK戸ちゃんたちとしたのだった。
そおそれが昨晩突如、海岸の名前を思い出した。
一色海岸!!! http://www.umigoya.net/
そお逗子駅からバスに乗って行ったな。来年は行ってみようかな…。
おとん
おとん
おとん
中学生くらいからおとんが嫌いで。まあ思春期の女子にはよくあることだ。
いや、その前も嫌いだったな。
大人になってからは理性で愛すべき存在と頑張って認識して来たが、
やっぱり人間的に嫌いで。
数年前に、頚椎の軟骨損傷による、神経圧迫から来る、首から下不随の危機の時はどれ程に親を頼っていたか分かったけれど。

やっぱり、この男…。と、人間的に嫌いなんだけれど。

犬のことでちょっとまた快復。
しかし、あたしの場合、バージンロードを手を組んでとか絶対嫌だね!!
妹んときは神前だったな。

でも、○っさんは、好きになった人で初めておとん彷彿なんだよなー。

○っさんが目の前で踊ってるの見てたら、子供の頃、おとんがヤグラの上でヤギブシを踊っている様がフラッシュバックしたのだった。

やー。もう諦めるんだけど、○っさんは。

うちのおとん、貧乏ゆすりが激しくて、演歌の鼻歌ばっかりで。
野蛮でいい加減でスケベエで何様状態でちゃっかりしてて、図太くて…。

○っさんは基本、繊細でカンが良くて紳士である。
子供時分は随分泣き虫だった。
アメダスで全国的に見ても強烈に真っ赤だったんだと思ふくらいに。

幼少の頃は母の趣味で常にベリーショートだった。
ホントは友達みたいに長くしたかったのかもしれないけれど。
その頃の自我は母の思惑には勝ち得ないものでR。

すこし肩に髪がかかってくると、日曜日に近所の美容院にしょっ引かれて、母と美容師の密談の元、ザクザクあたしの髪の毛は下に落ちて、瞬く間に「段カット」にされた。

いつもは読めない漫画が読めるので美容院に行くこと自体はそれほど苦痛ではなかったが、その翌日の登校が今考えても不思議な程に憂鬱で。

あたしの急激な断髪に、隣のクラスからも珍獣を見たリアクションで男子が冷やかしに来ると、あたしの目からぼとぼと涙が落ちて。
もう止まらない。先生にも突っ込まれるともうそれも恥ずかしくて、朝の会から下手すると給食が終わるくらいまで一日べそべそしてたものでR。

3年生の春休みに、「もう学校で泣かない!』という目標を掲げて、『泣き虫が直るポプリ』を作った記憶がある…。庭に乾かした花びらが春一番で見事に飛び去って完成はまま生らなかったが…。

そんな…。超超多感な子供時代を経て、そのつど頑張って強くなろうとして…。
男か。と呆れられる現在に至る。さじ加減は何事も重要だけれど。
何処の好みに合わせていいやらいつもそこがあたしの読みの甘いところでして。

今も、ドラマや映画が好きでないのは。そーいったドラマティックな事柄がこっぱずかしいというより。
感情移入しちゃってどーしょもなくなるから!という、理由でR。
ロールプレイングゲームだって泣けるのでR。
頭が軽い!そうして風邪ひいた頭痛い。
今日までに提出ボランティアの会報原稿
今日までに提出ボランティアの会報原稿
今日までに提出ボランティアの会報原稿
7班「私がいちばん最初にここに来たのは、いつだたろう?。」
近年、県立●術館の展覧会に頻繁に来るようになって、「どうせなら。」と
ボランティアに参加し、スクールサポートでここに初めて来る小学生たちと一緒に作品を鑑賞しながらそんなことを考えた。
 先ず、最初の機会は小学校3年生の社会科見学だった。しかし入館券とお小遣いを入れるポーチを母に手作りしてもらい、事前学習で聞いたぐんまの森の面白さに、私は本当に楽しみにしていたらしく、興奮のあまり当日に発熱し欠席となってしまったのであった。
休みで家で一人で観たTVで、中国残留孤児の肉親探しの映像が盛んに流れていたのもおぼろげに記憶にある。
 そんな訳で、私のぐ●まの森デビューは遅く、高校2年のときとなる。美術部に入部していた私は、顧問の先生の県展出品作品を美術部の仲間と見に行ったのであった。
昨年度、アスベストの撤去工事が終わった旧館の薄暗い展示室に所狭しと飾られた、高い技術力の大きな絵画に大変圧倒された様子が思い出される。
確か顧問の先生の作品は私がモデルとしてポーズを取ったこともあり、なんだか自分の事の様に誇らしかった。
現在、ロビーのザッキンの作品が展示してある所には、石材の大きな作品が展示してあり、数人の女性が風に吹かれている様子を表現したそれは、石であるはずなのに、とても軽やかで清々しい雰囲気を醸しだしており大変驚いた。
 そんな学生時代を経て、物であるはずなのに人間の心を揺さ振る美術作品の深みに私は益々はまって行き、美術専攻の道を進むこととなる。
 自らも制作をし、より多くの作品を鑑賞し、少なからず美術を学校で指導する機会を経て、私は高名な作品の素晴らしさはもちろんだけれど、やはりそれを鑑賞する生きた人間がいてこそと思う様になった。
 なので現在の活動に大変意義を感じている。
あのとき自分が体験した“わくわくどきどき”をサポートできるのかと思うととても充足感がある。子供たちのビックリした様子にこちらが楽しませてもらっている。
 また、かつては白鷺の群生地だったという、ここの自然の素晴らしさも楽しみの一つだ。剪定されていない巨木やそこに生る赤い小さな実や、一面を覆う落ち葉の美しさと、その息吹にむせながら太陽の光を浴びると元気が湧く。
そうしてその後、人間の心の森に入って行く様な気持ちで美術館の階段登っている。

♪オータマジャクシは♪
♪オータマジャクシは♪
♪オータマジャクシは♪
甥っ子のためにおたまじゃくしがひっとらえられてバケツにいた。
…。
小さな頃、神社の境内の池で妹と幼馴染のM男くんでオタマジャクシ捕りに夢中になっていると。
ザブンと大きな音と共に妹が池に落っこちた!!!泳げないまだ幼稚園に上がる前の妹を、あたしとM男君で必死で引っ張っり上げた。もがく妹は自分達も引きずり落とされるのではと怖いくらい重かった。
びしょ濡れでわーわー泣く妹の履いていた、ピンクレディーのメッシュのサンダルの間に、ぴちぴち跳ねるおたまじゃくしが沢山ひっかかっていて、それを見てあたしは大笑いし、妹はそれに怒ってより、わーわー泣いたのだった。
映像が今日のことみたいに鮮烈に思い出せる。

甥っ子に『まいけるじゃくそんが死んじゃったんだよ』と教えてあげると。
『知ってるよ、ママに聞いたもん。』
ママはね。そのおたまじゃくしのせいで死ぬとこだったんだよ。と。
MOON WALKモドキを披露しながら心で言っといた。

沼田のカフェでE子さん達が写真の展覧会をやってるってので
見に行こうとしたが、道に迷って高速に乗ったら、目的地に着く前に家路に着いてしまった。
ナビなのだろーかやはり。
ナビっちゅーと、Bせんせが専任になって羽振が良くなったとたんナビを付けて、
道わかんないかわいこぶり「ナビ様に連れてってもらったんです。うふふふふ。」と
金持ち風を吹かせてたのに、めっちゃカチンと来て、伊能忠敬なんか地図作ったんだぞ!人間、地図読む能力くらい退化させたら教員として堕落したも同然!!
何、浮かれてアホぶりっ子してんだばーかばーかばーか。

↑ちゅー事を言葉にならずに2秒くらいでムカついて断じてナビはつけん!
と。心に誓ったものですが...。
地図書いて行ったんだけどなー。昔は住所一つでどこでも行ったな...。

沼田といば...バブルに酔わせてくれたあの人は...。
やー、今の方がいい!!!!自分に嘘を付いて楽して生きてはいけない!
でも、最高やさしい人だったな...。

人の心の敏感な人の、言葉にしない奥のゆかしい揺れにいつも惹かれる私みたいなのでR。
1987のシノワズリー
中学校2.3年くらいの歌謡曲を想いだすと。
シノワズリー・ブームだったのでは?
と。
河合その子涙のジャスミンLOVEと135の我愛称と斉藤由貴の砂の城
に思ふ。

そんでもって歌の世界観って後の自分の人生の指標に振り返るとなっていて恐るべし!ビビル。
嘘をついて大人になるよーり夢見る迷い子で旅を続けていたいの♪
あんとき好きだった○ちゃんが斉藤由貴すきだったよなー!
o_o

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